コロナ以後、Facebook等での発信や繋がりを控えていた私ですが、おもーい腰を上げまして、これからは、さとたねのブログページを使って、子供たちとの日々、お母さんたちとの日々、母として、人として今感じていることなど、できるだけ自由に、つれづれなるままに綴ってみようかなと思っています。
私の場合、心で練っている時間が長く、大体長文になってしまうと思うので、触れたい人だけが触れられる場に、そんな風に考えて始めてみます。
…と、ここまの間に記事をどこに書いたらいいのか設定がわからず2時間ほど費やしていました(^-^;
すでに若干気が滅入ってますが、ぼちぼちいきます。
コロナのことがあり、変わったこと、変わらないこと、色々ありました。周りを見ても、そういうことたくさんあったんじゃないかなと思います。
直接人と会わないで繋がることを前提としたオンライン、SNS等でのやり取りが大普及する中、私が真っ先に手放したのは、まさに簡単に、手早くを基本としたツールを使っての繋がり、間接的な繋がり、でした。
これからの時代に必要、遠くの人にも届けられる、情報や選択肢が増える、慣れれば大丈夫、と言われれば言われるほど、その正しさの一方で、違和感を感じていました。
(あ、でもスタッフミーティングなど試験的にはその恩恵に授かりましたので必要な場には必要との認識もしています。目と頭がとても疲れましたが、、、)
私の場合、拡散、巻き込み型じゃなくて、掘り下げ型。
だから、じんわりいいなって思った人が何かを感じ取ってくれたらそれでいいし、感じ取らなくてもいいとも思っています。
それで、誰が何を思うかなんて情報はとりあえず置いといて、こんな時こそ自分の直感を頼りに生きてみよう、って考えたんです。
ネットでの情報収集のペースは落とし、新聞で気になる記事や大事にしたい思いと重なるようなコラムに出会ったら線を引き、こんな時でも右往左往しないであろう頼りになるあの人と連絡を取り、話をし、寄り添いたい人に寄り添い、人と会うのは若干減らしつつも、リアルな繋がりはあえていつも通りを保つようにしていました。
そしたらね、自分に正直に生きてる時って心がどんどん元気になっていくんですね。暗雲立ち込めてたのがさーっと霧が晴れるように清々しい気持ちでいられました。自分自身を取り戻す感覚です。
その頃、さとのたねでは、活動自粛中に、スタッフで相談をし、必要とする親子に向けて開放日を設けていました。
綱渡り状態の中での開放日設置は、ぎりぎりの判断でもありました。
この時、私たちの中で確認したのは、
「やるならやるで、見通しが甘かった、対応がまずかったって後で言うのはやめよう」っていうことでした。
リスクを背負うことを前提に動くのです。
どれだけ対策したとして、人間よりウィルスのほうが何枚も上手なのは想定済み。
それでもやるなら、後悔はなし、ということです。
それから、4月、たまたまコロナと同時進行で、人の傷みを我がことのように共にする出来事がありました。
「大事な人を守るため、人と接触してはいけない」と世間で叫ばれる中、何度も自分の心に向き合い感じたのは、世の中には、正しいか正しくないかで判断できないことがある。
心動かされたときに、決まりを超えてでも気持ちを寄せたいことがある、ということでした。
それは、一方で大事な人の心を守ることに繋がるのではないでしょうか。
「人と接触しない」「人との接触を極力避ける」、ということがこれからの日常になるのだとしたら、子供たちは何を見て、何を感じて、心のひだを増やしていけばいいのでしょう。
いざという時に、「例外」を捉えられ、ここぞという時に心を寄せるという判断ができる人になるのでしょうか。
そのことを考えると、新種のウィルスよりも、新しい生活様式なる正しさを大前提とした価値観そのものが本当に怖いです。
その裏で見逃される自殺者数、虐待件数、心の問題。
私の中には、リアルな関係性の中で、正しいか正しくないかの判断の前に、いつも、自分がどうありたいか、その先に繋がる相手とどうありたいか、がありました。
その上で、どう対応するか、対策するか、アウトラインはどこまでか、を練り続けてきました。
多分、私の違和感はそこで、世の中では、今起こっている事象を、目前のことと捉え、「大事な人の命を守るため」、という一方的な大義名分のもとに、対応、対策ばかりが最優先されてきたことでした。
順序がね、逆、なんです。
さらに一方的な発信が多いもんだから、受け取るのも疲れます。
ちょっとゆっくり自分の心と頭で考えさせてってことですね。
不本意ながらの死と隣り合わせなのは、いつも同じ。
一方で、遠い先のことと捉えていればその視点も違うでしょう。
どちらがいいとは言いませんが、私はだからこそ、今、どう生きるか、ということだと感じています。
ウィルスへの捉え方一つとってみても、同じ。
まずは自分がどう捉えるか、そこからどうしたいか、そして、リスクを背負いながらどう対応するか、だと思うのです。
そして、その人が、楽観的に捉えようが、悲観的に捉えようが、直接的に捉えようが、間接的に捉えようが、結局のところ、そこに意思決定をした自分への覚悟があるかどうか、だと思います。
それがなければ、何を選ぼうが同じ。
言葉は厳しいですが、単なる心の無い選択にすぎないと思います。
これからの時代を子供たちが生き抜くために必要なのは、簡単便利な繋がりツールではありません。
自分の心を軸にして生きること、
自分の心を軸にしながら誰かの心と繋がっていくこと、
そのために、あるがままの自分をたくさんの人に愛してもらうこと、
と確信しています。
だから、リアルな関わり、リアルな感情のやり取りが必要なんです。
それがあれば、ツールなどはいくらでもあとから付いてきます。
何だか結局最後は熱くなってしまいましたが、長いこと練っていた心のうちのほんの一部です。
まあ、これからも、ぼちぼちでよろしくお願いします(笑)
さとのたね代表
岸本 梓