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時間をかけて築くもの

前回のブログから気づけばあっという間の2か月です。

日々の子供たちのこと、お母さんたちのこと、オープンデイに来てくれた方のこと、新入会の子供たちのこと、秋祭りのこと、4,5歳児クラスへの道のり、この数か月ほんとにいろんな心の動きがあったのに、パソコンが苦手、機械が苦手、という最大の難所にちっとも書く気が起こらずでした。

 

練るのに時間がかかる、伝えるのにも時間がかかる、パソコン打つのにも時間がかかる、時間がかかることだらけ。

でも、私、「○○のためにやっておけばよかった」って思うことがあんまりないんですよね…

できないことをあげたらきりがないけど、そこにあんまり焦点を当てないんで、将来のためにあの資格を取ったり、あの勉強をしたりしとけばよかった~!!なんて思わないのが強みです(笑)

 

やろうと思ったときが取り組み時。

必要に迫られて、一生懸命やるけれど効率は非常に悪いです。

でも、真剣。

だから自分では○○は私苦手で好きじゃないけど、まあいっか。です。

 

そのうち手伝ってくれる人が出てこればラッキー、周りも大変そうなら、とりあえず自分でやってみる、でもこれほんとは好きじゃないんだよね、っていう気持ちは我慢しない、ここが味噌。

どっちも自分と受け入れて、どっちもまあ私よね、と大事にします。

そんなふうに思えるようになるまでにだいぶ心を揺らして時間はかかってますけど。

 

そんなこんなで思いはいっぱいあってのなかなか発信までこぎつけない状態が続いていた10,11月。

なので、ブログもよほどの余裕がある時しかしたくないという感じでしたが、冬休みに入ったら入ったでのんびりしちゃうだろうなあと思いつつ、考えているこれからの種まきのこと、大事にしたいこと、ちょっとずつ機会をみて、伝えていきたいなと思っています。

 

話は変わりますけど、人と人との関係ってものすごーく時間のかかるものというお話です。

昨日、ある子がね、私のところに来て、「○○が葉っぱ受け取ってくれたの」ってとってもとっても嬉しそうに伝えに来ました。

見ていると、MくんがHくんに近づいて行って、「はい」って葉っぱやらどんぐりやら何度も何度も渡しています。

 

そのシーンだけ切り取ってみたら、「受け取ってもらえてよかったね」っていう素敵な場面でしょう。

でもね、二人の姿がこうなったのには、実はものすごーく時間がかかっています。

 

HもМも2歳児。

Hは人と関わりたい時も、やめての時も、うれしい時もドンと手が出やすくて、MはそんなHに戸惑い、どう関わっていいかわからなくて、「怖い~」って言いながら大人の後ろに隠れて様子を伺っていることがしばらく続いていました。

 

2週間くらい前、なんでもない時も、Hが道を引き返してきて通ろうとしたときでさえも、Mはさっときびすを返して下がりました。

まるで動物が自分より手ごわい動物に出会い、反射的に身を守ろうとしているよう。

その瞬発力と反射的保守能力にも感心しましたが、でもね、人間の子供が違うのは、自分の感情を感じきったら、相手への対処を変化させていくというところです。

 

それは、根本的に子供自身に、育ちたい力があるから。

そして、相手を知りたい、理解したいという力があるからだと私は思っています。

 

Mに限らず、一人一人が自分のペースでHとの距離感を図っていて、どの子も、不思議と「怖い~」という状態から確実に自分なりのアプローチを探っているのがわかりました。

 

お弁当の時に「Hがまだ来てないよ」という子がいたり、後ろで止まっているHを見に行く子が出てきたり、「まだあそこにいたいんじゃないかな」「今、Hはこうしたいのかも」とHの気持ちを想像する子も出てきました。

 

そうこうしていること数週間。そして、昨日のMのアプローチ。

「受け取ってもらえた」ことは、

これまでわけのわからない存在だったHのことを、遠目で見たり、すこーし近づいてみて感じたり、関わっていったりしたら、なんだか、今日、気持ちが繋がった!!っていうことが、心の底から嬉しかったんだと思います。

 

しかも、一回じゃなく繰り返し、繰り返し、渡しに行っているわけ。

それがどれだけ子供の中で特別な瞬間で、どれだけ心躍ることだったか想像できますか?

 

Hも、誰かが「あげる」って持ってきたものを受け取るようになったのはここ最近です。

それって、「相手の好意を好意」として受け入れてるってことですよね。

子供ってほんとにすごい!

 

でも。ついつい瞬間を切り取ってみちゃいません?

やった、やられた。

この子が嫌がってるから。

迷惑がってるから。

 

嫌なのは子供じゃなくて大人の私たち。

子供は私たちのずっとずっと先を行っています。

 

心を揺らすことを大人は嫌がります。

その状態がまるで悪いことのような。

子供に対しても、人に対しても、嫌だなと思ったり、怒ったり、ざわついたり、イライラしたり。

 

心揺らすことくらいいいんじゃないでしょうか。

 

私が大人に対して困ったなと思うのは、負の感情を抱くことより、その原因を何かのせいにすることです。

忙しさのせいにしてみたり、相手のせいにしてみたり、環境のせいにしてみたり、してるうちは多分変化はなくて。

でも、その感情を自分で味わう、自分に問いかける、っていう自分にベクトルが向かうようになると見え方が変わってきます。

あ、これを、「自分を責める」になる人いるけどそうじゃなくてね、自分の感情を味わって、私、こういうことが好きじゃないんだ、こういうことが好きなんだ、私、どんなふうにありたいんだろうってことを練るってことです。

そうすると、イライラするのも、ざわつくのも、私、こんな風に感じるんだよね、で済みます。

感情を味わいきったら、私がさてどうしよう、どうあろうということで人と関わっていけばいい。

 

子供たちはそれをじっくりじっくり時間をかけてやっているんです。

その邪魔をしないこと。大人の私たちができるのは、育ちの芽を摘まないこと。

育ち合いは、心を揺らす時間があってこそ。

人が人を理解するには時間がかかるのだと肝に命じることだと思います。

 

さとのたね

代表 岸本 梓