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「ひきこもり先生」から思うこと

今年の夏はわりに過ごしやすいような気がします。夜は涼やかな風が入ってきて寝苦しい夜もあまりありません。いつもなら6月下旬から7月は湿度と暑さでぐったりですが比較的さわやかな夏、という感じ。あ、でもこれは毎年毎年外で活動し続ける私の主観なので、皆様がどう感じるかはそれぞれだと思いますが…

 

コロナもオリンピックも色んな局面で色んな立場の人が色んなことを言いますが、それぞれの見解と正しさがあってのことでしょう。

でも、どんな立場でどんな状況下でも胸を打つのは損得計算を抜きにその人の背景から感じ取れる「自分の選択に責任を負う」という真っすぐな思いに触れた時、でしょうか。

いまや何を選んだとて正しいか正しくないかなんて誰にも評価できない世の中な気がします。

混乱の中で「自分の足で立つ」、ということがどれだけ難しいことか。

錯綜する情報社会の中で誰かの意見に流されすぎたり、気を遣いすぎた結果、知らない誰かに負うことを任せていたりが世間のあちこちにあふれています。

今ほど自分の足もとを見つめることになる機会はないのかもしれませんね。

 

少し前にNHKで放送された、佐藤二朗主演の『ひきこもり先生』というドラマがしばらく心に残っています。

私の大好きな佐藤二朗さんが!こんな迫真に迫る演技もするんだ!この人、ふざけてるだけじゃない!(笑)という衝撃と共に、今の子供たち、大人たちに広がる閉塞感みたいなもの如実に表していた番組でした。

 

11年間ひきこもりだった主人公がひょんなことから公立中学校の非常勤講師となり、不登校の生徒が集まる特別クラス「STEPルーム」を受け持つことに。複雑な家庭環境、経済苦、いじめ、様々な心の闇を抱える子どもたちに戸惑いながら、模索しながらも、対等に一人の人としてそっと隣に寄り添う物語。

大人も「自分の弱さと不安も抱き合わせでそこにいる」、そのままを受け止め合う関係性の中で人が育つ、こういう大人の関わりだからこそ心に沁みます。

 

先に、「自分の足で立つ」、という話がありましたがそこだけをピックアップすると人は育っていかない気がします。

人が一人で育っていく、ということはなくて、人が自分の足で立つためには、互いが自分の弱さを前提に依存してよい、という認識が必要。

それは、どっぷりの依存じゃなくて、適度な依存ですが。

 

今、読んでいる木村泰子先生(大阪市立大空小初代校長)、工藤勇一先生(前麹町中学校校長)、合田哲雄さん(文部科学省科学技術・学術政策局、科学技術・学術総括官)の対談書『学校の未来はここから始まる』という本がとても興味深くて、教育界の最先端をいく人たちが、次のように話しています。

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「自立」について言えば、自分のことは全部自分でやって、他人に迷惑をかけないことが自立だと多くの人が思っています。

しかし、本来の「自立」とは、互いが適切に依存しあうことなのだと思います。

学校や社会が「人様に迷惑をかけるな」と言いすぎた結果、他人に迷惑をかけないことが自立という認識が広がってしまったのではないでしょうか。

 

「自立」とは互いに適度に依存しあうことであり、このことを子どもたちに伝えることが公教育の使命だと思います。だからこそ、子どもたちと向き合う教師自身が、自分の足で立って、自分で考え、他者と対話し協働する大人であることが何よりも大事であり、そんな先生方を支えるのが教育行政の役割だと考えています。(合田)

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木村先生はなぜ、文科省がインクルーシブ教育システムの推進を掲げてもなお、子どもたちのいじめや自死が減らないのか、子どもの今ある「事実」からあり方を考えるべき、とおっしゃっています。

 

失敗や、うまくいかなかったときに、「誰かに頼っていい」という環境があっていい。

忘れ物をしても、忘れたらどうしようか、とそこにいる子どもたちと考えればいい。

学びだって行き詰ったら子供同士で教え合う環境をもっと作ったら、学力もコミュニケーション能力も対話力も自然にあがると思います。

子どもをいつまでも足らない存在、教えなければ育たない存在だと思っているから先生のやることが増えて、時間が無くなり、閉塞感が充満する。

 

さとたねでは忘れ物すると、おめでとう、と歓迎されます。

 

子どもたちに「どうしよっか」って投げかけられるからです。

「○○ちゃんお弁当ないんだって、リュックないんだって。どうしよっか」、って。

そしたら、1歳児だって、2歳児だって一緒になって考えますよ。

小さなおにぎりをまるまるくれる子もいれば、ちぎってくれる子も、もちろん私のって囲む子もいますけど。

その一つ一つの関わりが忘れた子と、周りの子とを繋いでいくんです。

それが人が人の中で暮らす当たり前の姿だと私は思っています。

 

忘れたことを全生徒の前で一方的に叩かれ、怒られる。

そのことが知らず知らずのうちに「自分と他者は違う」、「自分が正しくて、相手が間違っている」、という差別的認識を子どもたちの中に生んでいることを大人はまず知っておいたほうがいい。

 

大人も強くなくていい。いつもいつも正しくなくていい。

肝心な時に、助けてって言えること、そうしたら、きっと子供たちも大事な時に助けてって言えるんだと思います。

年間自殺者2万人のわが国で、小中高生の自殺者は増加の一途をたどり、2020年は500人に上ります。

 

『ひきこもり先生』の最終回で、中学生が放った言葉が今も心に残っています。

 

「大人がそんなんじゃ、子どもはいつまでたってもしんどいままなんだよ。

私たちのために、まずは大人が幸せになってよ。」

 

ほんとにね、、、

子どもはいつも大人の背中と本質を見ています。

だからこそ愛をもって、誰かの幸せを願えるのでしょう。

 

さとのたね代表

岸本 梓