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ここは通過点

先週まではさわやかな夏と感じていましたが、8月に入り、どっと蒸し暑さが増しています。

8/1に行われたOBや一般の子を交えたデイキャンプの日は、すっかりインドア続きの私にとっては、かなり体力消耗でしたが、子どもたちはもちろんそんなことお構いなし。

緊張していた子も、いつも通りの子も、はじめましての子も、わくわくできた子もうまく混ざり合い、関わり合い、よく遊んでいます。

ハガキ作りやジャム作りなどの用意はしていますが、半分くらいの子は、虫探したい、散歩に行きたい、川に行きたいと、結構自分の中で「ここへ来たら○○できる!」「○○したい!」をイメージしていましたね。

きっかけ作りのためのスケジュールは組んでいますが、そういう気持ちが見えるとやっぱりこちらも嬉しくなって添いたくなります。

自由に組み替えられる、それができるのがここのよさでもあります。

 

面白かったのは、年少でさとたねを卒業した子がたねの音(昨年度まで開催だった月1日曜のイベント型保育)に年中、年長時代に来ていたころは、すっかり幼稚園環境に楽さと心地よさを感じ、

「歩くのは嫌だし、泥も嫌だし、お山登るのも嫌~」なんて言っていたのが、小学生に上がった今回の帰り道、

「あ~めっちゃ楽しかった~もっと川で遊びたかった~歩きたかった~」とまだまだ足らないって感じで話していました。

 

「あれ?そうなの?前は歩くのも汚れるのも嫌だったじゃん」と私が言うと、

「少し前は嫌だったけど、やっぱりだんだん歩きたい気持ちになってくるの。川で泳ぐの楽しいし~」ですって。

 

顔に水がかかっただけでも大騒ぎだったあの子が、周りの子たちとかけあいっこしても笑い合っていたのを見て、子どもも行ったり来たりする中で自分の心地よさ、心の向かう先を敏感に感じ取っているんだな、とその通過点を2年後、3年後と折々に見せてもらえることもなんだかうれしく思いました。

 

そう、ここはあくまでも通過点。子どもも親もやり切ったら、その先は自分の地域で、また様々な環境の中で自分を生きていきます。だから、時々リハビリに戻ってきたり、頼ったりしてもいい場所だけど、それは自分の感覚を自分に問いかけ、自分の足で歩いていくため。

 

影響し合いながらも、過度な依存にならないよう、ちゃんと彼女たちが卒業していけることが大事だったりします。

そう考えると保育者は「手放す」ことの連続。寂しさも愛しさも抱き合わせで、他者の幸せを願いつつ、手放す、その繰り返しです。

そうそう、でも、ぱっぱっぱと簡単に切り替えているように見えて、痛みや寂しさみたいなものはしっかり味わい尽くしています。ずるずるやらないだけで。

そういう繰り返しの感覚もすべて心を耕すのにちょうどいいアクセントなんでしょうね。

 

違うテーマで書くつもりが、気づいたらすっかりキャンプの振り返りになっていました(笑)

続きはまた綴ります。

 

さとのたね

代表 岸本 梓