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「学校の未来はここから始まる」アウトプット

今週から「りんごの木オンラインセミナー」が始まって、昨日までにいくつかの講座を聞き終えたのですが、私が先週までブログに書いていたこととリンクする話がたくさんあってほんとに勇気づけられました。

 

柴田愛子さんの話、りんごの木セミナーのいいところって、小難しくないんです。

 

すっと心に届いてくる、きれいすぎないというか、黒か白か、正しいか正しくないか、みたいな話じゃなくて、これってどういうことなんだろう、子供のこれってどうやって捉えたらいいんだろう、こういう時があって、こういう時もあるよね、という思考の過程と人間的な裏腹さが感じられるから。

でも、丁寧に経験の中で練られている安心感があります。

 

しかも、笑っちゃうんです、ほんとに。

子供がおもしろいって思えるのってやっぱりいいな、

子供のエピソードってたまらないな、って感じます。

 

昨日は新沢さんの講座を聞いていたのだけど、一番最後、干からびた蛙を「宝物」といって持ち帰る子のエピソードがまさに私たちの現場と一致して、しかも新沢さんの語り口がおもしろすぎて、おなかかがよじれるほどでした。

 

おかげで新沢さんのメイン講座の話を思い出そうと思ってもすっかり抜けています。でも、講座もいいお話でしたよ(笑)

ぜひ、ご興味のある方は、「りんごの木オンラインセミナー」で検索、お申込みくださいね。

 

りんごのセミナーのこともアウトプットしたいと思っていたら、1学期の子供の話もアウトプットしたくなってきて、でも、その前に、『学校の未来はここから始まる』(木村泰子×工藤勇一×合田哲雄)の本のアウトプットをしておきます。

 

これも、めちゃくちゃ面白かったです。

久しぶりに付箋が付きすぎて困るくらい(笑)

 

章ごとでグラレコで図式化もされてるので、この図を見るだけでも色んな気づきになります。

教育や学校という場に限った話じゃないです。

幼稚園でも、保育園でも、行政でも、子育て支援でも、人を繋ぐ場でればどこでも同じことが言えると思いました。

 

経験を重ねながらもほんとにつきつめてやってきた人たちの話って、その分野に収まりきらない共通点みたいなものがあります。

 

2人以上の人がそこにいるのなら、それはどの組織にもグループにも、人間関係にも共通する話で、それをどこまで自分事として考えられるか、ということな気がします。

 

木村先生も愛子さんと同じように「エピソード」で語れる方で、ここでは深くご紹介しませんが、ここに書かれていた子供のエピソード、親のエピソード、先生のエピソードは真に迫るものがありました。

 

対談書の一部をいくつかピックアップしてみます。順不同です。

 

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(合田・文部科学省科学技術・学術政策局科学技術・学術総括官)

世の中の人々の頭の中には、自分が受けてきた学校のイメージがあります。

それは、教室という空間に40人の子供が整然と座っていて、教師の説明を必死になって聞き、ノートをとっているといものです。

この基準で考えるから、麹町中のリハビリ(主体的学習に転換していくための入学時の取り組み)は「学校ではない」となる。

これは「形式」で説明責任を果たしてきたことと無関係ではありません。

わが国に一番欠けているのは、自分の頭と五感を駆使して自らのリスクで自分自身を評価を行うことだと私は思います。それができないから形式や数字のにすり替えているわけです。

 

(木村・大阪市立大空小初代校長)

ある先生が、「うちの学校の生徒たちは、特別支援学級の子どもたちのことをよく理解していて、差別もしないし、思いやりをもって接しています」と話されていました。

その瞬間に「そうした捉え方をしていること自体が間違いです」と言ってしまった自分がいました。

どんな子も立場は対等であり、「差別をしない」とか「思いやりをもつ」とか、そんなレベルの話ではありません。

まずは障害のある子もない子も同じ「土俵」に乗ること。

「個別最適な学び」はそのうえで見つけていけばいいのです。

 

「個別最適な学び」を進めると、集団での学びがなくなるのではないかという人もいます。

でも、その子にとって「最適な学び」という視点は、すべての子どもに必要です。

大切なのは、子どもが自分とは違う他者と共に過ごし、相手を尊重しながら柔軟に対応していく力を養うことです。この力がベースになければ、どんな学力をつけたとしても、10年後の社会で生きて働く力にはつながりません。

 

今、職員室で悪い空気に押しつぶされそうな若い先生に言いたいのは、

「子どもだけを見て!」ということです。

目の前で学んでいる子どもだけを見て、自分が何をできるかを考えてほしいのです。

それができれば、教師という仕事が楽しくなってくるはずです。

 

今の若い教員は、学校時代にたくさんの評価を受けながら育ってきています。

「この先生にほめられたい」「評価されたい」という価値基準のなかで成長してきたわけです。

そのため、ほめてもらえないと前へ進めない、タイプが多く、校長に強く指導されたり、保護者に文句を言われたりすると、すぐに「自分はダメだ」と思ってしまう。

あるいは、うまくいかないことがあると「学校が悪い」「管理職が悪い」「教育委員会が悪い」と人のせいにする。

教員に限らず、そうした若者がとても多いですよね。こうした状況を考えても、学校教育における「評価」は何のためにあるのかという大前提から問い直す必要があります。

 

(工藤・前千代田区立麹町中学校校長)

「主体的・対話的で深い学び」がなぜ必要とされているのか、

社会が多様化していく中で、対話を通じて合意を図れるかどうかに、大げさに言えば人類の存続がかかっているからです。

この認識が欠けているから、当事者意識が持てず、一刻を争う状況下なのに物事を決められないような社会になっているのです。~略~

多様化する現代社会にあって、適切な筋道を立てて、ステークホルダーを巻き込む形で突き進める人なんていないし、そんな人が出てくるのを期待していても仕方がありません。

やはり一人一人が当事者として成長していくことでしか、人類は救えないのです。

 

(木村)

工藤さんや私がやってきたことは、全国どこの学校でもできることです。

私たちをスーパーティーチャー扱いしていること自体、「あの人だからできた」と世の中に「やらなくてよい言い訳」を与えていることになります。

 

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今、教育行政は、りんごの木セミナーでもお話しされている汐見先生や、西野さん、木村先生、工藤先生のような実践も含めた子供理解のある方々を折々に有識者として招き入れています。

 

いたるところで、

「これから10年20年先の世界を生きていくために、子どもたちとって本当に必要なことは何か」、

ということが深く議論され、今や、枠組みとなっている「学習指導要領」をはじめとする教育保育に関する法令、条例自体が「子供を真ん中」においたものに変わってきています。

 

でも、「個別最適な学び」も「主体的で対話的で深い学び」も、

実際現場に降りきている実感がないのは、

その本質・中身を十分な読解力でもって現場に伝えられる人がいないから。

だから現場の人間が気づくことなく、これまでの「当たり前」を思考停止のまま提供してしまうという状況がまだまだあります。

 

「学校」を今、自分が関わる組織に置き換えてみればどこも同じようなこと言える気がします。

私も振り返ってみれば耳が痛くなります。

 

相手に求めることではなく、自分の視点を、自分の行動を考えてみる。

 

ただ課題は山積みのようにみえるけど、私は子供たちを見ていると、そんなに憂いた気持ちもなくて、きっといつの時代も子どもたちはきっと隙間を縫って自分らしく生きていくすべを身につけていくとも思っています。

 

自分の足で立つことと、困った時は誰かを頼ること。

この二つは相反するようで人が生きていく上で欠かせない力です。

根っこはどっちも「自分を信じる」ことからきています。

それは実はみんな生まれながらにして持っている、そんなふうに感じています。

 

この本では、問題提起だけでなく、

最上位の目的に向けた「合意形成」をいかに図るか、

どんなふうに制度・システムを整えていくべきか、

3章でロードマップもしっかりと描かれています。

 

こんなふうに公立学校の先生と行政が全国各地で自分の言葉で本音を語り合い、タッグを組めたらおもしろい世界が広がっていくだろうなと思いご紹介しました。

 

さとのたね

代表 岸本 梓