· 

正しく、熱心で、無理解な大人にならないために

コロナ禍で学校とはなんぞや、という問いが、

自分の中にも、子供たちの中にも、周りの大人たちの中にも、

そして、学校にも生まれてきたと思うのですが、

ここ最近もまた、実生活を通して垣間見える学校の在り方や子供の姿から、?と思うことが噴出していたので、少し前に学校の教頭先生と対話の機会をいただきました。

 

私のFacebookを読まれた方は察しがつくかと思いますが…

 

とかく「学校」「教育」の話になると、どうしても対立的に捉えたり、親であれ、教員であれ、地域の方であれ、どの立場においても、手段方法や対応の良し悪しに話が偏りがちなのですが、

そうではなくて、

子供も大人も共に笑い合える社会はどうやったら作っていけるのだろう、

今、目の前の子供たちと共にどう生きたらいいのだろう、

という視点で話がしたいんですよね。

 

まあ、実際事あるごとに悲しい、いたたまれない、子供の心を見ようともしない関わりにあたるような話を聞けば、内心腹も立つし、クソだなとも思うけれども、です。

 

子供に対話を、というのであれば、私たちも攻撃ではなく、激論をかわすのではなく、

どこを大事にしたいんだっけ、何がほんとに大事なんだっけ、

という問いかけが常に必要な気がします。

でも、ずばっと言ってくださる方もすっごく好きですけどね。木村先生みたいに(笑)

 

多分、必死に正しいことを選ぼうとしている、選んでいるという人には、

自己否定に聞こえてしまうから。

だって、子供のことは大事に思っているんです。それはそれは熱心に。

すべての親と同じように。

 

だから、対話の共通項を見つける。そこから始める。

 

思い込みで、こうじゃないんですか、とか、こうすべきじゃないですか、

みたいに言ってくる人がいるけれど、

いやいや、相手がどう思ってるか、どう考えようとしてるか、まだなんも聞いてないでしょ、

と思います。

 

そのうえで、ここは同じだな、違うな、なるほどね、私はこう思うし、こうあってほしいと願います、という対話ができたらいい。

 

で、じゃ実際どうだったかというと、そのような対話はできたと思います。

私や相手が納得するかしないかではなく、今その人が、どう考えてるのか、という点では。

 

今子供たちはずっと頑張り続けていること

子供が大事で心に寄り添いたいと思っていること

それは、よく感じていらっしゃるのが伝わりました。

 

「学校は自分以外の人と繋がり、関わり、自分の心を豊かにしながら、コミュニケーションを学ぶ場ですよね?」

という問いにも大いに共感されていました。

 

そのうえで、です。

 

ここからは、私はこう考える、という話。

 

ああ、方法手段が目的化しちゃってるんだな、と思ったわけです。

 

子供が育っていくということ、子供の心をみる、そして寄り添うっていうこと、

の意味が完全にズレてるんだな、と思ったわけです。

 

だ・か・ら、、、全国各地でおかしなコロナ校則が次々にでてくる。

 

おにごっこ禁止、走るの禁止、でも跳び箱はやる(どうやって?)、

体育祭の徒競走はなしにして、リレーだけやる(何が違うの?)、

マスクつけたまま縄跳び(死んじゃうよ、、)、

そもそも校庭に出ない(教室が常に密ですけど)、

しゃべってはいけない給食、しゃべってはいけない掃除、

立ち歩きしゃべってはいけないトイレだけの休み時間、、

 

ちゃんとしなければ、正しく守らねばならないと強く思う先生がそばにいたら、

子供たちにとってそれはますます厳しいものになります。

常に監視し続けられ、守れなかったら叱責される環境。

正しさの真綿で首を知らず知らずのうちに絞められるような。

 

多分、それでも子供たちはきっと抜け道を探し、

心ある先生は時に寄り添ってくれていると思います。

 

でも、なぜかこういったことが学校の最善の選択だと学校内では認識されてしまう。

だれもひっくり返さない。

混乱の極みですね、、、

 

子供の自尊心はどうやって育まれるのでしょう。

20年後、30年後、大人になった時、社会で自己判断し、自己決定し、自分の人生をどう生きるのでしょう。

 

3月全面休校の時には地域の学校は、子供の視点に立ち、校庭を開放していました。

あの時は、少なくとも、子供の心に寄り添っていましたよね、子供があんまりだと。

スポーツ庁から、WHOから子供が適宜マスクを外すことが必要とのお達しがあれば、

子供の発達、育ちを踏まえ、そのようにもしていました。

 

でも、今は、なぜ開放していないのかを聞かせていただくと、

そこには子供の健全な心の育ちを守るという視点よりも、

 

「地域の方の目があって、子供はみてないところでどうしてもマスクを外してしまうから、

これからは学年ごとで出ることを考えています。

でも、ブランコもどう並ぶとか、鬼ごっこは禁止とか、子供にわかるように伝えられるように色々考えているところです」

と。

 

ほんとに熱心に、真剣に、一生懸命、考えているんですよね。

 

だ・け・ど、、、完っ全にズレてる!!

 

地域の方にはお世話になっていますけど、地域の方が学校に行くわけじゃない。

これ、公園のボール使えない問題と同じだと思ました。

 

子供の育ちに遊びが、コミュニケーションが必要と考えるのなら、

地域の方に、

「これは子供がこれから地域で、社会で育っていくために必要な時間であり、遊びであり、場所なんです」

と伝えられる大人はいないのか、と思います。

 

そして我が家も地域の人ですけど…

 

誰のための学校かと問えば、子供の学校で。

で、その学校はどんな場ですかと問えば、

 

「学校は自分以外の人と繋がり、関わり、自分の心を豊かにしながら、コミュニケーションを学ぶ場」

それが本質だとわかっているにも関わらず。

 

子供が好きですか?今、子供たちの状況はどうですか?

 

その問いに、心ある答えが返ってくるのに、子供の心とズレていることに気づかない。

 

それでは、子供の心に触れ、聞き、伝えあうことなんて、

先の先の先だなーと気が遠くなりました。

 

翌日、お口直しに、西郷先生のドキュメンタリーを見ていたら、

 

「先生たちには、自然体でいいよ、自分の素で話そうって伝えています、

あなたの素で接することで、子供が素でいられるから」

 

西郷さんはこんなふうに本音で話すということを捉え、教員に伝えていました。

 

これです。

「本音で伝え合う」って。

 

「子供の心に寄り添ってほしいんでよね、そのためには、先生たちが一人の人として、本音で気持ちを伝えてもらえたらうれしいです」

という話をした時のこと。

 

「子供に、さあ本音で話そう!と言ったときにうまく自分の気持ちが伝えられるのは高学年くらいからだとおもうんですよね。

低学年の子供たちにはそこまで伝える力はまだなくて、先生が本音を伝えても本音か規則か判別しにくい」

と、これまたどこかの小学校でも聞いた話だなという回答が返ってきました。

 

本音で話すのにそんなに頑張る必要あるかいな(笑)

 

「岸本さんのお子さんは気持ちを伝える発達が早いのだと思います」って、

うち個人のことでご相談していないにも関わらずね、、、

早合点もほどほどにしていただきたい。

 

3歳だって、4歳だって、5歳だって、本音で話せるわい。

 

思わず、

「あのね、先生がおっしゃってる本音で話す、という受け取りと、

私がお伝えしている本音で話すの意味合いはちょっと違いますよ」

とさすがに突っ込ませていただきましたが、、、

 

心の中では、「さあみんな、今から本音で話そう!」って勢いづいた先生に本音で話するかいな、と思いましたよ。言わないけど。

 

で、

 

「私がお伝えしたいのは、自分の本心のままに、子供の心に寄り添うってことです。

それは、先生だから、とか、担任だから、とか、校長だから、とか、親だから、地域の方だから、とか、立場に関わらず、誰でもが、『今あなた大丈夫?』『困ってることない?』『しんどいよね』って寄り添うことはできると思うんです。

子供が好きで、子供が大事で、子供に関わりたいと思う人なら、だれでもできる。

それを一緒に考えて、共に心に寄り添ってほしいんです。」

 

と伝え直させていただきました。

 

ご理解いただけたと思っています。

方法は違えど、子供が大事は、十分伝わっていますから。

 

まあまあ、こんなものですよ、どの人もこれまでの教育というのが染みついてますから。

親世代の私たちにも言えることだと思います。

正しく、熱心な、無理解な大人にならないよう、気をつけなくちゃと思います。

 

学校に期待はしませんが、

思っていること、思いが重なる部分が少しでもあるなら、

私は共に考えたいと思います。

 

あと3時間は話せたと思います。時間があればまた色々とお話したいです。

まずはちゃんと共通項は見いだせたので。

 

というわけで、ここでお口直しに、

 

世田谷区立桜ケ丘中前校長・西郷孝彦先生のドキュメンタリー

『校長は反逆児/校則のない学校』

https://www.youtube.com/watch?v=ft6qMSxTjNA

 

をどうぞ。

 

校則があるとかないとか、宿題があるとかないとか、

先に「方法」に目が言っちゃう人は捉え違いです。

 

子供をみるってどういうことか。

 

心震える体験こそが人を動かす。

私はそういう人と出会いたいです。

 

さとのたね

代表 岸本 梓