11/7のさとたね秋祭りを前にだんだんとお母さんたちも慌ただしさがましています。
今年はコラボ事業にも着手しているので、日常の保育のみならず、常に追われるようにイベントがやってきます。
この秋は、例年より忙しかったかもしれないですね。
そんな中、一つ一つ、準備、実行しているお母さんたちには頭が下がります。
子供たちはというと、いつも通り。
お店を開く年少と年中児は、やりたいことを伝えあっては、その環境作りは保育者がして、再び子供たちと相談して、作っていく、ということの繰り返し。
やはり、気持ちが慌ただしいのは大人で、子供たちは、1歳児も2歳児も3歳児も4歳児も、お店準備も、お店準備じゃない時間も、楽しいことを見つけては、やってみる、の繰り返し。
大人になると、自分のことは自分で決められるけど、多くの人が、
「人の間に入ると、自分で決めることが難しい」と言います。
そういう機会、私たち、ほとんど学童期に体感してきてないですからね、、
大変で当たり前。
意見が違って当たり前、めんどくさくって当たり前。
誰かが決めてくれたことに、誰も反対しないで進められたらどんなに楽なことか。
考えはまとまらないし、伝えたところで相手はどう思うだろうか、
自分の考えを自分勝手に決められないし、自分の思うようには人は動いてくれないし、
人の狭間で、自分の身の振り方と在り様を考えずにはいられません。
ほんと全部誰かがやってくれたらいいのに
って思いますよね(笑)
子供には、「自分で考えて、自分で試して、失敗もありで、自分で決めることが大事!」
だけど、「困った時は頼っていい!」
って、頭で思っていても。
祭りは、まさに、大人たちが、毎年毎年、その難しさを体感していく過程に一番の意味があったりするわけです。
しかも、子供は自分で決めたことを「負う」ということさえも、苦に思ってないのが驚きだったりします。
自然に負ってるんです。
どーしてほしかった、こーしてほしかった、とか、相手に求める以前に、
自分はどうするのがいいか、と対話していたりします。
「対話」って言うと、私たちは、言葉を使うことが基本のように捉えがちですが、
最近対話の基本は、
「自尊心と信頼感」に尽きると思いました。
4歳児になれば、ミーティングと言う形で言葉を使って対話をする姿になるだけで、
そこに自尊心と信頼感があるから、意見が違うのは当たり前、じゃあどうする?という前提が子供の中で生まれているような気がするのです。
で、それは、1歳児も、2歳児も、3歳児も同じで、自我がとことん発揮されるときこそ、自己対話を子どもたちは頻繁にしています。
でも、それは言葉を使わない対話です。
体で押したり、よけたり、奇声をだしたり、大笑いしたり、座り込んだり、泣いたり、ぶつかってみたり、ひっかいてみたり、そっと近づいてみたり、手を繋いでみたり。
「自分が自分が」と言いながらも、「自分だけ」で完結しない世界を子どもたちは、常に生き続けています。
大人よりはるかに、人と密に関わりながら、
自分と仲間と連続的に継続的に「心で対話」をしてるのでしょう。
大人のように間髪入れず、文字で捕捉しようとしなくとも、
嫌だから、シャットダウン!としなくとも、
誰にどうこう思われるとか気にせずとも、
子供たちは次に来るまでの「間」でタフに対応します。
その「間」こそが子供の世界で、どれだけ大事か、と思います。
2学期始まったばかりの頃の年少児、年中児合同活動。
Aの関わり方は、威勢がよすぎて、年少児の何人かは怖がる様子がありました。
いつものメンバーと雰囲気が違うということを敏感に察知する子もいれば、そうでない子もいます。それがまたいいんですけど。
どちらにとっても、「なんかうまくいかね」みたいな状況が生まれるわけですね。
興奮しちゃってね、虚勢を張ってみたんですよ、Aなりに。
強めの表現=自分はこう感じてるっていう現れ。
でも、それを数回経たとこで、先頭切って戦闘モードだったAが、この前は、なんだか全体の様子を俯瞰するように、列の後ろのほうを歩き、まだ新米のSちゃんにそっと黄色い花を手渡していました。
この、自分のおもうがままに「表現」した後に、自分の中で対話するっていう作業、
大人にとっては、めちゃくちゃしんどかったりします。
余計な妄想で拗ね続けたり、相手を責め続けたり、比較し続けたり、
「人と対話する」ことと「自分と対話する」ことは別物と線引きしがちになるのですが、
日常的に自分と対話する人は、他人と対話することがさほど億劫にはなりません。
だって、他人と対話することは、=今の自分と対話することだからです。
それを、子供は「間」の中で、やっちゃんでしょうね。
すごいのは、対話のベクトルが必ず自分自身にあるということです。
比較や客観性の意識が出てくるのは、確かに4歳児くらいからですが、
「どんな自分も、存在と感情は優劣なく認められる」、という揺るぎなさが、
自分の中にありさえすれば、軌道修正なんて大した問題じゃない。
関わり方の方法や手段はいくらでも変えられるのだから。
1歳児、2歳児、3歳児、4歳児、一時でもぐっとその子たちの世界を意識的に見ていくと、、、
やっぱりどの子も一人一人全部違って面白い。
ほんとの「心地よさ」、は多様性を認めた先にあるものです。
大人も、そんな彼らの傍らで、子供たちのぶれない自尊心と信頼感を見せてもらいながら、
大人になってしまった今だからこそのしんどさも、面白さも両方味わい尽くしていくのでしょう。
お母ちゃんたち、まずは今の自分を自分で抱きしめて(*^^*)
さとのたね
代表 岸本 梓