年が明けましたが、世の中はなんだかトゲトゲざわざわしています。コロナに津波に、連日頻繁に起こる地震も、なんだか混乱と不安が押し寄せてる感じ。
子供たちの悲壮な叫びが聞こえてくような事件も度々起こっています。子供も親もどんな気持ちだろうと想像するとほんとにぞっとします。
どんな世の中であれ、あなたはあなたで大丈夫だよ、と寄り添い続けてくれる人が一人でも隣にいてほしい、そんなことを願わずにはいられません。だから私は目の前の子供たちとどう向き合う?そんなことを考えずにはいられない日々です。
新学期1週間が経ちましたが、子供たちは寒い日も雨の日も、ありったけを生きています。
泣きたい時に泣きたいだけ泣いて、笑いたい時に腹の底から笑って、嫌な時は嫌って言って。
それだけでなんだかたまらないな~と思います。
特に1,2歳児は寒ければ泣くし、お母ちゃんと離れるのが嫌で泣くし、気に入らないことがあれば泣くし。
「泣く」、という表現がとっても大事だったりします。
それをかわいそう、と捉えるか、気持ち出しているな、と捉えるか、で子供の姿も変わっていきます。
大人がその場を解決しようとするのか、その子の気持ちに寄り添おうとするのか、次の行動が変わってくるからです。
子供たちを見ていると、一目瞭然。
何とかして泣きやませようとする子はいません。
そっと頭をなでたり、顔をのぞき込んだり、遠くから、○○ちゃん泣いてるね、と言ったり、その子が思い切り泣いていることをただただ自分なりの方法で受け止めています。
何かをしてあげる、がいつも正解とは限らないのです。
子供たちは感じ切る、相手のそのままを受け止める天才だと私は思っています。
その関わり方が一番自分を大事にしてもらえたという自尊感情に繋がって、自分で自己決定をしていける姿に繋がることを子どもたちから教えてもらっています。
それで気づいたんですけど、この時期の子供たちには、「迷惑をかけてはいけない」という意識がない。
私たちはやたら言うじゃないですか、「これは迷惑かもしれない」ってまだ起きてないことを心配して。
でも、幼児期の子供からそういう言葉を聞いたことがないことに気づきました。
それだけ自分を生きているってことなのかなって思ったんです。
軸がちゃんと自分にあって、相手との間に「これは嫌だよ!やめてよ」ってうまくいかない状況が起きてから、自分を微調整していくんですよね。
なんか、これってすごく大事なコミュニケーションだなって改めて思いました。
迷惑かもしれないって、相手を傷つけないように考えているように見えて、自分が傷つきたくないからかもしれない。
子供たちは相手に嫌な思いをさせないようにという予測をしない分、率直な関りの中で自分の身の振り方を都度都度考えています。
だからまずは自分軸。
かといって、自分軸で終わらない。気持ちと違ったり、ぶつかったりすれば、そこから相手の自分軸に心寄せていく。
私たちもまずそこに立ち返れたらいいですよね。
昔、私も動けない時期があって、ある友人に助けられっぱなしな時がありました。
お互い子育て期真っ只中で、その人も自分にすら余裕のなかった時です。
だから私、毎回ご飯届けてくれるその人に申し訳なさと、自分の動けなさから、
「申し訳ないね、迷惑かけてごめんね」って伝えてたんですよね。
でも、彼女めちゃくちゃ大変な時期だったと思うのだけど、
「これは今返さなくていいことだから。
元気になった時に自分の手の届く人にその気持ち届けたらいいよ」
って伝えてくれたのね。
それで気づいたんです。
誰かの好意にあぐらをかいて何もしないのと、ただひたすらに相手に申し訳ないと思うのは、
結局のところ、自分のことだけ、自分の気持ちだけに縛られているという意味で一緒だと。
だから、自分の気持ちを軸に相手の気持ちを思うなら、
「迷惑かけてごめんね」じゃなかった。
「ありがとう」って気持ちでうけとればいいんだって。
案外、迷惑かもしれない、申し訳ないって自分の気持ちだけかもしれない。
ほんとに相手を大事にしたいなら、一回自分よがりを捨てて聞いてみればいい。
わからないんだったら、「ちょっとこんなこと考えてるんだけど、どう感じてる?」って聞けばいいんですよね。
そこには必ず自分と相手への信頼が必要になってくるけど。
子供の関わり方はだからこそ、シンプルでうらやましいのだけど、大人になった今だから気づけて対話でコミュニケーションが取れることもたくさんあります。
子供の今を保障しながら、私たちの今も同じように作っていける、そんなふうに思っています。
つい先日社会館のホームページで拝見した宮崎先生(木更津社会館保育園園長)のメッセージ。
子供への信頼と、目線を結びにお届けします。
そうそう、ほんとに、さとのたねの子供たちもお母さんたちも、
日々リアルな「ドラマ」を生きてるの!って思います。1~2歳児はとにかくありったけでほんとにおもしろい!きれいな育ち、子育てはありえません(笑)肝はいかに混沌を生き抜くか、です!
もちろん誰かにそっと寄り添ってもらいながら。
●「今泣いたカラスがもう笑う」のが2歳児
2歳児の葛藤耐性が特に強く設計されているのは、何気なく頻発する行き違い・喧嘩・トラブルが数分後には回復される体験を通して、子供たちの復元力・回復力の根っこを張らせるため。「世界は、こちらが恐れるほどに薄情でなく、敵意も悪意もないらしい。自分は必ず守られ、祝福されている。」と子供達に思い込ませること。子供達の、安心・自己信頼は、葛藤・混乱状態からの脱出・復元の体験を重ねて、強化されるべきだ。
端的な「安全・安心」は1歳で終わり、2歳になった子供たちは、「ドラマ」を生きるのがよい。
●感情は表現されて成熟する
親・保育士の目を気にせず、子供たちは、無意識かつ自発的に自己感情を顔に出すことが保証されるべきだ。「泣いてよいか、笑ってよいか」と保育士・親の反応をうかがう子供達は、その感情を成熟させられず精神の二重化・分裂に苦しめられる。
泣くこと、怒ること、笑うこと等、感情表現の極点=感情爆発の結果が「ケンカ」。「ケンカ」は大切な感情熟成の本道だ。
(木更津社会館保育園HPより抜粋)
さとのたね
代表 岸本梓