朝起きるのが辛い季節です。
私はただでさえ朝が苦手で、新学期が始まっても毎度のことながら冬は特に布団から出るのに苦労をします。30分は布団の中で葛藤し、意を決してようやく起き上がる毎日です。
小さいころから朝はいつもギリギリまで布団でねばっている私には、パチッと目覚めてささっと動ける人がほんとにうらやましいのです。
こういう目覚めの体質って変わらないものなのかしら。
さて、1月もあっという間に過ぎていき、スタッフは全員頑張り時続行中です。
保育外のあれこれがイレギュラーに入ってくるのがさとのたねのスタッフ業の常だけれども、今年度は特に多いかも。
保育のことだけ、子供のことだけ、ではないんですね~
ほんとによくやってると思います。
世間はコロナコロナですが、私たちが子供を真ん中にしながらそこを取り巻く大人も含めて関わる人たちに心寄せながら、ハード面、ソフト面の両方から安心を保っていこうと思えば、コロナのことだけ、子供のことだけ、親のことだけ、事務のことだけ、日々の予定のことだけ、どれか一つだけ考えてればよいということにはなりません。
あらゆる方面から派生する問題を常に予測しながら、並行して考え、心寄せ、優先順位をつけて動いているわけです。
+自分の家庭、子供のこと。いつもいつも平穏とは限りません。
家のほうが大変な時期だってそれぞれあったりするわけです。
どんな荒波がこようと、子供の日々を守り、繋ぐために、現場に立ち続けています。
それはイコールいちいち自分に向き合うことの連続で、めんどくさがり屋の私は幾度と「めんどくさ~い!!」と言ってきたことか(笑)
そして何度自分の至らなさに幻滅して、悔しくて、悲しくて、しんどくて泣いてきたことか。
もちろんその感情がメインじゃないですよ。
楽しい、嬉しい、という時も山ほどあって、だけど、まっとうに人の間で生きてれば快の感情以外にも包括して色んな感情、葛藤を味わうことになるものです。
心地よさがうり、いいとこどり、誰でもどうぞ、安心安全みたいなフレーズが世の中で歓迎されがちですが、現実はどこいってもそうじゃないからみんないつも根っこのとこで苦しんでるんでしょ、と思います。
いちいち自分に向き合うのってほんとめんどいんですよ。
だけど、そこから逃げてたら私たちは務まらないんで。
だからスタッフ業は誰でもができることとは思ってなくて。
さとのたねでは「資格重視」していません。
自分の感性を大事にしていることと自分に向き合うことから逃げないタフさ、みたいなことが必然的に必要になってきます。
何度も言いますが、ほんとによくやってる(笑)一人一人をリスペクトしています。互いに労い合っていきたいものです。
ここでの保育に限らず、どんな職種であれ、人の間のこと、どこもそうだと思うのですが、今の情勢をみても、子供に携わる人たちのことを、子供をなんだと思ってるのかと思うことがあります。
もはや教育も保育も「子どもの育ち」うんぬんは置いといて、大人都合の「託児」ですか、と聞きたくなることがあります。
コロナにかからないことと、経済が回ることが最優先であるならば、いつも大人の都合に合わせていただくなら、それならそれで、たまには子供にもどう感じてるかぐらいきいてほしい。
と、私が子供なら思います。
「子供たちの学びを止めない」という教育現場も、
大人の都合を押し付けておいて、できた子は〇、できない子は×、できる保護者は〇、できない保護者は×みたいなことをやり続けた先に、子供が自分で考える、親が自分で考える、そこから共同的に考えるという学びはどこで得ていくのか、と問いたいです。
考える力を身勝手に奪っておいて、何年か先に今の子たちは自主性も主体性もない、気力も積極性もない、とかほんとに言わないでいただきたい。
先日4,5歳児クラスの子供たちのミーティングでコロナのことに触れました。
「どのくらいコロナのこと知ってる?」という問いには、
「もうなんでも知ってる!」とのけぞり気味にAが言います。
「オミクロンでしょ、オミクロン」とK。
そうね、最近戦いごっこ的な時に「オミクロン!(参上!的に)」って叫んでるものね。
(これも子どもの心のバランスをとる必要なあそびです)
うちは野外だし、マスクも常時義務付けではなく場を選んで臨機応変にしているし、事あるごとに消毒をさせたり、アクリル板で区切ったり、黙食を強いることもないので、まあそんなに困ってることもないだろうとは思っているのですが、
「コロナのことであなたたち困ってることってあったりするの?」と聞いてみたら、
「動物園でマスクすること」とか「電車でマスクすること」とかそもそも「マスクは息がしんどい」、という率直な自分の気持ちも伝えてくれたのだけど、
Aはね、「お母さんやお父さんはずっとマスクで大変そう」って言ったのね。
なんか、それを聞いたら私、じんとしちゃったのよ。
Rはね、週末胃腸風邪で、様子見でしばらく休んでたのね。
で、久々元気になってきたのだけど、その日は朝からおもむろにマスクをつけて生活してたの。
お昼以外ずっとよ。
何か自分で決めてる風にも見えたから、私は外しなさいとも、どうしてとも言わなかった。
病み上がりだし、お母さんに勧められたのかなとは思ったのね。
でも違った。
Rに、ミーティングで聞いてみたらと、
「お母さんには言われてない。自分で考えた」って言うの。
僕たちは普段ここではマスクしてないけど、自分だけよければいいなんて考えてないのよ、子供は。
そんなこと大人が偉そうに教えなくたって、自分の心で「感じて」「考えて」るんです。
そういう力が子供たちにはちゃんと備わってることを私たちはもっともっと知っておいたほうがいい。
余分なことをして、子供のもともともってる力を奪わないでほしい。
親だってそうじゃないですか?
あなたできない人ですからね、あーしろこーしろ細部まで色々言われたら気持ち萎えるでしょ。
アドバイスは参考までに、くらいがちょうどいい。困ったら手を貸すよ、くらいの位置で十分。
こんなにも子供たちは仲間との関わりの中で自分の心を育てている。
そういうわけで、うちは託児施設でもないし、コロナに絶対かからないことが最優先ではありません。
子供の気持ちに添いながら、今のコロナの特徴を捉え、万が一かかったあとの待期期間による関係性が濃いが故の、保護者間の心理的負担をも予測しながら、どの部分のリスクをコントロールをしてくのか、明確にしています。
世間より厳しいものと、緩やかなものが混在しているのがさとのたね独自のコロナ対応です。
そのくくり(基準)の中で、その先は保護者一人一人が考え判断していくこととしていますが、それと同時に最終責任はだれがどう選択をしようと私にあるとも思っています。
な、の、で。
ほんとに多種多様、人の数だけ捉え方や考え方があると思うし、違いを叩きたくなることもあるとは思うのですが、私正直腹の底では思ってます。
自分で引き受ける気のない覚悟ない人の言葉はきっちり境界線を引かせていただきます、と。
ただ寄りかかるのではなく、相反するように見える「気持ちに寄り添うこと」と「境界線を引く」、この双方を持ちつつ、自分のことを大事にしながら、相手のことを大事にしたいのです。
はい、今日はちょっと辛口でしたね(笑)
さとのたね
代表 岸本 梓