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受験生とおサボり母ちゃん

私も周りもすっかり忘れがちなのですが、我が家には受験生がいて、先週の木金と公立の受験日、一か月前は私立の受験でした。毎度のことながら色々あった先週。

なんというか、もう、ね、勝手に私が気ぜわしいだけで、なんてことはない、受験終わってましたって感じです(笑)

 

まあせっかくなので、我が家をちょっと振り返ってみます。

なぜ、気ぜわしかったのかというと、私、初めてかつややこしいことはかなり不安が強いほうで(そう見えない人は改めてそうなんだと思っといてください)、長男の時は、いわゆるスタンダードな受験ではなかったんですね。

ちなみにうちの長男は「地域留学」という仕組みを利用して、現在島根の県立高校に通っています。

あれも物理的に移動とか決めるまでの過程が常にギリギリの崖っぷち(長男の特性上)でほんと大変だったけど、今思えば、システム自体は地域留学受験のほうが断然楽じゃん!と思うわけです。

 

いわゆる多くの中学生が向かう受験システムはほんとに初めての親にとってみれば、ややこしい!そこを知って必要なとこを子供の邪魔をしないように準備するという過程に気ぜわしさを感じていました。

 

準備するとはいえ、あれですよ、子供に勉強しなさいとか、学力つけさせるために何かさせるということではなく、自分の関わりどころ、理解しておくところはどこかな、という準備が煩わしいということです。

 

基本、子供は自分で自分のことを決めていきますから、それ以上に手をかけなきゃ、とか、あれが足らないこれが足らない、だからこれとこれは子供にやらせなきゃとかまで考えてる人にとったらそりゃもう大変ですよね。

 

なるほどだから、「今年受験、大変ね」、ってよく言われるんだなと思いました。

何が大変?って、親が頑張るから大変なのね。

 

私は息子たちと違って慎重なので一夜漬けとかできないし、そもそもほんとに夜は眠いし、起きてられないし、布団が好きすぎるし、外ではそれなりの準備をしたい人なので、どうしてこうも色んなことがギリギリだったり、やろうとしなかったりする子供の性質を受け入れられるかというと、私の親が、そうだったからというのも多分にあると思います。

 

何かをやらなければならないと強要されず、あなたはそういう状態なのね、ということだけがあったのだと思います。

また逆に特別な感情をもって親が子供に寄り添おうとか、子供を尊重すべきみたいなのもなかったわけです。

 

そうすると、どういうことが起こってくるかというと、自由なんだけど、その自由を使いこなすのにすごく苦労することに気づくのね。

ものすごく自分の中で考えることになるの。

 

それで、高校生くらいの時に、結構なぬるま湯にいるわという気分になって、こんなにぬるま湯につかってたんじゃ私ダメになるから家、そろそろ出よっかなってなった気がするんです。

 

まあ、これは余談ですが。

 

私は、元来ほんとに超絶めんどくさがり屋なので、家にいる時は徹底的に自分を甘やかしたいんです。

外で頑張ることが多々ありますからね。

仕組み一つ理解するのも、いついつまでにウェブ出願をやって、いついつ弁当が必要で、振り込みをして、ということだけで、結構精いっぱいなわけです。

 

家で頑張らなくていいとこは徹底的に頑張りません。

「あ~なんか大変そう」という気ぜわしさを感じたら、あとは得意な方にパス。

例えば、パソコン使う関係は主人に。

仕組み理解は、信頼する塾経営者の友人に。

 

弁当いるなら早めに言ってよー(母ちゃんすぐ忘れるから)、

起きる時間とかも早めに言ってよー(母ちゃん朝が苦手だから心の準備がかなり必要だから)、

とにかく、11時には寝て!11時以降は光熱費を払ってください、とだけ本人に。

 

長男の時は確か「10時就寝」て毎晩唱えてたけど、そこも若干ゆるくなってます。

 

ほんとこれしか言ってません。

1日ゲームしようが、見た目ダラダラしてようが、それだけ。

だってそれ以上のことは言うと自分が疲れるもの。

とにかく省く!!

子どものためにと思ってることほど子供のためにならないし、というのはまあ半分ほんとなんだけど、私はこういうとこで割と自分を大事にします。

結果、子供が自由に生きられてるんだからよいのです。という、、これも屁理屈でしょうね。

 

しかも、息子が受験当日の弁当は、「カロリーメイトとおにぎりでいい」って言ったときも、

内心ちょっとラッキーって思いましたからね。

 

でも、「何よーおにぎりくらい作るよ、何がいい?」

ってちょっと受験生を気にしてる風の母親を演じまして、(これはあえて笑いをもたらすため。)

そしたら息子から、

「え、お母さんのおにぎりおいしくないんだけど」

「なんでコンビニのおにぎりはあんなうまいんかね」と言われる始末。

母撃沈、かと思うでしょ。

「なにー!」「で、具は何がお好みで?」となおも食い下がる私。

 

「…イクラ」と息子。

「らじゃ!イクラね!」と私。

「…ねえ、イクラ買うよりコンビニおにぎり買ったほうが安くない?」と息子。

「げ、ほんとだ。ま、いいね、イクラねイクラ。」そこはけちらない私、なんて寛大(笑)

 

結果、コンビニおにぎりだろうが私のおにぎりだろうがいいんですけどね、ここはちょっと頑張ってもいいポイントは自分が動いても疲れませんから。

 

さぼれるとこはさぼる、私を知ってる息子も娘も、いつも言います。

「母ちゃん、それでよくさとたねやれてるね」って。

 

受験生の息子には勉強のこといろいろ質問されて、

「母ちゃんはもうそれは必要ない分野で捨ててきたんで、塾の先生に聞くかググってください」と言えば、

「母さんは何を学んできたん?」って(笑)

 

まあそうなりますよね。

 

それで、とにかくさとたねのことは忙しそうにはしてるけど、割と家でこたつでゴロゴロしてて、

「えーそれはやりたくないんだけど」とか「めんどい~」を連発してるもんだから、

彼らも彼らで言いたいことを言ってきます。

 

とにかく学校から帰ってきたらストレスはしっかり家でぶちまけます。

「私も聞いてよ」「僕も聞いてよ」ってな感じで

子供が3人そろう時なんかはほんと大きくなってもカオスなんだけど、疲れるんだけど、それでいいんじゃなかろうかとも思うんですよね。

 

始め受験の切り口で話しましたが、思春期を超えていくときのエネルギーたるやほんとにすごいです。

大人の理不尽と社会の矛盾をきちんと見抜き、親を超えていきますから。

受験より大事な成長時期というのが子供には否応なしに波のごとく押し迫ってきます。

 

でもね、私と子供は別人格だもの。

寄り添っても、解決はしてあげられないから。

 

 

聞くだけ聞いて受け止めたら、外に原因を作り出してる時だけは、

「そこだけは勘違いしないでね、自分の課題だよね」って言います。

それでまた子供はまた自分で考えるわけです。

相手はどうあれ、自分がどうありたいのかを。

 

でもね、私だって感情をもつ人間なんで。

今はさとたねのこと先にやらせてっていう時や、私も私で外で堪えるときや、寝込むような余裕のない時というのもあるわけで、

「今日はちょっと無理」な時は無理なんです。

 

子供とさとたね、家族とさとたねとか、子育てしてる以上、誰かと共に生きてる以上、バランスなんか取ろうと思ったって取れないことをこの10年で実感してるので、「今はこっち」、「今はそっち」、みたいなメリハリという線引きをしながらしか動きません。

 

みんなそれぞれ出したい時も違うし、出すタイミングも違う。

いいタイミングで受け取れる時もあれば、そうでない時もある。

 

でも、家族が、やだとか、悲しいとか、見てとか、疲れたとか、泣きたいとかを出せる場ならいいんじゃないかなって思うんです。

 

「あ~やだったねえ」と言いながらこたつでおやつを食べ、お茶を飲む。

家事は横に置いといて。

だけど、それができない時もあっていい。

 

私も子供の頃そうだったけど、子供って、親に伝えた言葉を拾ってほしいんじゃなくて、

その奥にある

「今ある自分の心の動きや状態を感じてわかってほしい」んです。

それが「聴く」ってこと。

 

 

そうやって子供は「人を信頼する、頼る」ってことを得ていってるんじゃないかなって思います。

 

さとのたね

代表 岸本 梓