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ぼくは、ぼくをあきらめない

『つらくてつらくて、今にも押しつぶされそうな昔の自分と、何度も何度も向き合う苦しい作業を繰り返しながら書いています。

自分や他人を傷つけるためではなく、自分を守るための武器の作り方と使い方をこの本で思いつく限り公開します。もし、同じ悩みをも人の役に立てることがあれば、最高にうれしいです。』

 

西川 幹之佑

 

『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由』(著・西川幹之佑)の「~はじめに~」の結びにある一文です。

 

この春休み、最も衝撃を受けた一冊でした。

 

元麹町中校長の工藤先生や元大空小校長の木村先生、他たくさんの「子供を真ん中」にした教育実践者の本を数多く読んできましたが、現在進行形で育ちゆく子供の視点(幼少期から現在の大学在学中に至るまで)で描かれた本はこれが初めてでした。

 

西川くん自身がそういった教育・学校との出会いの中で何に気づき、考え、行動(やり方)を変えていったのかという魂の書でした。

 

きっと人には誰しも、自分自身にさんざん向き合う時期というのがあるのだと思います。

私の中にも繰り返しありました。小4くらいの時、15歳~20歳くらいの時、30代後半…

高校生くらいの時は「向き合う」という意味では一番揺れた時期かもしれません。

 

大人になる前に通っておいてよかったと今では思うけれど、あの時は、

走っても走ってもトンネルにいるような感覚、孤独感。

それでも自分自身に問い続けるしんどさ。

自分の足りなさと不器用さと周りを比較し、時に自分にないものを外に求め、行ったり来たりした日々。

でも、さんざんさんざん問い続けて、私は自分を受け入れることになるわけです。

きっとこれが大人になる通過点だったようにも思えます。

 

だからこそ、この本ができるまでに、彼がどれだけの傷みと自分自身と向き合ってきたかはおそらく想像を絶することであり、読み進めるたびに、幾度となく言葉にならないものが胸の中にふつふつとこみ上げてきました。

 

 

私の目の前にいる子どもたちは幼児期を生きる子どもたちですが、ここから小学校、中学校へと進む彼らのことを思い、また我が子の歩みと重ねた時に、西川くんの気づきを通して、これが本来の「教育」だと思わずにはいられませんでした。

 

子供を真ん中にした関わりは、子供が自分で感じて、考えて、行動していく教育(自律)に繋がっていきます。

違いを認め合う関わりは、自他の幸せを考える教育(尊重)に繋がっていきます。

 

その核は詰まるところ幼児期だろうが、学童期だろうが、思春期だろうが、その先社会人になろうが、同じです。

数十年後、彼らが社会に出る時に必要なのは、自分を信頼する力であり、人を信頼する力であり、多様な人たちの中で、自分で考え、判断し、行動していくことなのだから。

 

指示された通りに動くことが求められる、そんな社会ではないはずです。

 

『小学校6年生までの僕が、学校という場で望んでいたことは、ただ一つ。

 

今のままでいいんだよ、という言葉でした。』

 

『工藤先生から自律という考え方を学んでいなければ、きっと不安に押しつぶされていたでしょう。発達障がいの自分をこの世に生み出した両親を憎み、コロナに振り回される自分を被害者と受け止め、何もかも周りのせいにして、社会や国を恨んでいたと思います。

でも、今の僕は社会の一員で、人生は他人から与えられたり、押し付けられたりするものではなく、自分の選択と行動で作り上げるものだと考えています。

どんなダメな自分でも、自分の取扱説明書を自分の力で作り上げることが可能なのです。』

 

西川くんと工藤先生との出会いは確かに大きな分岐点ではあったけれど、彼がすごいのは、やっと見つけた安心・安全な場にただよりかかるのではなく、自分自身の気づきとして彼なりに深め、考察し、実体験の中で行動を変化させていったことです。

 

現に彼のすべての悩みとジレンマが中学3年間で消えてなくなったわけではなく、ひたすらにトライ&エラーを繰り返していたことが書かれています。

その苦しみと痛み、どろどろとした気持ちを幾度となく校長室へ行っては工藤先生に吐き出しています。

トンネル真っ只中での繰り返しの作業(葛藤)はどれだけしんどかったことでしょう

 

工藤先生の、

「世の中には、目的と手段がはき違えられ、手段が目的化していることが往々にしてある。

皆が共感できる最上位目標を掲げ、目的と手段をはき違えないこと。

最上位目標は、何度も立ち返る軸である」

という「目的思考」は有名な話で、学校のみならず、どんな組織でも、どんな小さな集団でも、これを一人一人に繰り返し問いかけ続ける組織はブレません。

 

ただ、これまで従来の教育を受けてきた私たちにとって、この「最上位目標」というのをどう捉え、どう設定するか、という説明自体はめちゃくちゃ難しいと思っていました。

ともすれば、「目標」というのはいつもお飾りであるか、または形あるゴールのようなものとしか認識されません。

そういう教育を私たちが知らず知らず受け入れ生きてきたのも事実です。

 

でも、それを18歳の西川くんは自分の中で練り上げ、わかりやすくひも解いてくれていました。

 

(全文読むと彼がどうしてこの命題に気づけたのかがわかります。ここには省略文しか掲載しないのでぜひ、全文読んでみてください。)

 

『高い目標とは何でしょう。

テストで100点をとること、難関校に合格すること、有名人になること、お金持ちになること、…略…どれも魅力的ですが、僕が工藤先生から学んだ「最上位目標」に充てはめることができません。

これらは「願望」だからです。~略~

工藤先生の教育の最上位目標である「自律した生徒」とは一人ひとりが当事者意識を持ち、対立やうまくいかないことにぶつかっても、どうしたらその問題を解決することができるかを考え、他者と協力しつつ解決できる生徒のことです。~略~

もちろんこれは最上位目標なので、そう簡単に生徒全員が「自律した生徒」になることは不可能です。僕自身も3年間で、工藤先生が掲げた「自律した生徒」になれたかと言ったら間違いなくなれていません。

けれども、そのことで工藤先生の言っていることは理想論だ、嘘だとは思いませんし、~略~

なぜなら「自律した生徒」、「自律した大人」という目標は一生終わらないからです。

何せ「最上位」なのですから。

 

『自分なりに考えると、最上位の目標とは、

①偏っておらず、狭い価値観や意見でないこと

②自分だけでなく、人のためにもなること(親から望まれたことではないこと)

③結果的に社会もよくなることではあるが、高いだけあってすぐに叶うものではないこと

④もし叶わなくても、そのことで自分を責めたり、誰かに責められたりするものでもないこと

という4つを満たすものではないかと思います。

目もくらむような高いハードルです。

でも、僕のような発達障がい児こそ、高い最上位目標を設定すべきだと思います。

「どうせできないよ」とか「そんなこと無理」などと言って、何を目指しているのかよくわからないような低いハードルではなく、一生努力しないと到達できないような刺激的な最上位目標に挑戦し続けませんか。』

 

これを読んだとき、私はうなりました。

大人でも言葉にするのは難しい大変な気づきです。

しかも、めちゃくちゃ難解な「一生の命題とは何か」ということを誰もがわかる平易な言葉で、わかりやすく伝えてくれています。

さらには最上位であるがゆえに「簡単には叶わない」ということを踏まえたバランス力。

 

たいてい私たちは、こっちが違ったらこっちの価値観、みたいなシーソー状態で物事を考えがちです。

目的そっちのけの手段・方法に翻弄されていることがどれだけ多いか。。

 

でも、彼は違う。

18年間ひたすらもがきながら、麹町中での出会いを自分なりに活かし、自分のど真ん中で考察を繰り返してきました。

「失敗は常にある」ことは彼の中ですでに前提になっていました。

だから、こんなにも胸に真っすぐ熱く伝わるのかもしれません。

 

さらに彼は、自分自身の最上位目標について、このように語っています。

 

『僕のように診断を受けるほどでもなくても、なんとなく困り感を感じている子どもや、定型発達でも何らかの悩みや不安から問題行動を起こす子どももいます。

すべての子どもを「合理的配慮」の対象とすれば、差別意識はより取り除かれ、誰でも困りごとはあるという理解に繋がり、障がいのある子とない子が共生するという「インクルーシブ教育」や「特別支援教育」の概念すら溶けてなくなるくらい、学校・社会全体で多様性を受け入れられるのではないでしょうか。

家庭が安心安全な場所でなく苦しんでいる子どもたちがいます。学校は、そんな子どもたちの命と心を助ける最後の砦であってほしい。「申し出ることができた子どもが得をする制度」ではなく、「困っている子どもたちみんなが助かる配慮」を求められる社会の実現。

 

それこそが、発達障がいに生まれた僕のこれからの使命であり、最上位目標の一つでもあります。』

 

苦しみ抜いた先の視野の広さに驚きます。

 

子ども(人)は本来、主体的に生きたいと育っていくもの。

 

だけど、私たちは幼少期から、大人になるまでの間に、指示されることに慣れすぎているし、自分で感じる前に何もかも与えられすぎています。

 

だから目的と手段をよくはき違えるし、他人軸を気にして、自分で決めて、行動すること、判断することを避けたがります。

 

確かに「最上位目標を常に問いかけ続けてくれる」学校や、大人に出会えれば、自分の人生は違ったかもしれない、と思わずにはいられないけれど、

 だから学校が悪い、親が悪い、組織が悪い、あの人が悪い、誰も教えてくれなった、では同じこと。

 

今ここから始めればいい。

 

西川くんが「ぼくは、ぼくをあきらめない」と、全身全霊で示してくれたように。

 

ここに紹介した「彼の気づき」はほんの一部です。

障がいのあるなしという概念をはるかに超えた、すべての人に通じる気づき・ヒント・新しい視点が盛り込まれています。

こだわりの強い子や男の子をもつお母さんなら重なることがいくつかあるかもしれません。

今苦しい、立ちゆかないという人だけでなく、ほんとのとこ子供はどう感じてるの?と疑問のある方もぜひ、読んでみてください。

 

『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由

ー麹町中学校で工藤勇一先生から学んだことー』(著・西川幹之佑)から引用

西川くんの渾身の書に敬意と感謝を込めて。

 

さとのたね

代表 岸本 梓