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1人も取りこぼさない≠みんな仲良く

新緑がまぶしい季節ですね。朝、森に入って木々を見上げると心がすっと溶け込むような感覚。

人付き合い疲れが出やすい5月こそ、生命の息吹を感じる季節に木々を見上げてみる余裕がほんの少しでもあるといいですね。

私も新学期始まってから、保育以外のあれこれに追われて、さすがにちょっとお疲れな時もありました。

でも、自然て不思議なもので、そのままを包み込んでくれる感覚があるのよね。

お疲れの私もありのまま、自然様もありのまま。

そしてここに集ってくる子供たちもありのまま。

そうすると、またもう一回原点に戻ってくる感覚。

頭を使ってああしたら、こうしたらと考えるんじゃなくて、(もちろんそれも大事なんだけど、)感じたままにそこにいられることの豊かさたるや。

 

昔から、人の世界に疲れたら、ふっと離れて一人でもへっちゃらという感覚は自然に自然が養ってくれてた気がします。

 

この「一人でいても平気」という感覚って、「誰かと共に」という感覚と同じくらい大事じゃないかしらと思います。

 

集団の中にいると、みんな仲良くみたいな心理が働きやすかったり、子どもにはどの子とも仲良くいてほしかったりしますが、自分だって小さいころを思い浮かべてみたら、それを本心から願っていた子なんているんでしょうか。

 

「仲良くね、○○しなさい、あの人に迷惑かけちゃいけない」とかたいていが外からの後付けの価値観によるものじゃないのかなと思うんです。

 

あの子と仲良くなりたい、あの子が好きだ、なんとなくそばにいたい、

時には、

あの子はなんだか怖いから嫌、なにを考えてるかわからないから嫌、自分の中の許せないことに引っかかるからなんとなく苦手、

そんな気持ちも含めて、自分が人といてどう感じるか、が本心なはず。

 

そうやって気持ちを抱くことはどんな感情であっても優劣も正邪もつけられないはずなんですよね。

私は気持ちなんて動くんだから〇も×もつけたってしょうがないでしょ、と思っちゃいます。

どうやったって嫌な時は嫌だし、好きな時は好きなんだし。

 

だから一人でいても平気みたいな感覚も、ちょっと怖いから少し様子見てみようとか、ちょっと離れておこうとか、そういう感覚って許されていいと私は思っています。

それに何かのきっかけで自分の思込みだったことに気づいたり、自分の好きな誰かを介して嫌だなと思ってた相手の知らない一面が見えてきたり、自分の捉え方って常々変化していくものです。

 

だけど、相手を傷つけるような行動自体はNGだと思ってます。

同調を集めて攻撃する、自分が心地よくないのは相手のせいだと決めつけ排除する、

というようなことでしょうか。

いじめはよくないと言いながら、みんなと違うできない子というレッテルを貼って、それを理由に排除する行動が悲しいことに大人の世界にもあります。

みんな仲良くといいながら、うちの子に迷惑なあの子をどこかにやってください、とかね。

 

NGだからというよりは、自分で自分を信じる土台のある人間は、理由付けなしに、「そういう行動は胸糞が悪い」と自分の内なる声があがるんだけどなあ。

ということは、相手がどうであるという前に、自分自身の信頼が揺らいでいたら、気持ちと行動が切り分けづらくなるのかもしれません。

 

そのbeing(気持ち)とdoing(行動)のバランスと線引きこそが大人になっていく過程なんじゃないかなと最近思ったりしています。

みんな一緒、みんなで仲良くすることありきじゃなくて、自分の気持ちありきで自分も相手も心地よい付き合い方を考えたらどうでしょうか。

 

「1人も取りこぼさない」、は、「みんな仲良く」とイコールではないことを子どもたちはよく知っています。

1,2,3歳児は嫌なことは嫌とはっきり気持ちを表しながら、それを周りの子どもや大人に受け止めてもらう過程の中で、自分の感じ方と相手の感じ方の違いを体感を通して知っていきます。

4,5歳児以降は相手の気持ちも感じ取りながら行動を変えていきます。

もう大人に近い感覚が育っているということです。

今まさに他人軸を獲得していく過程の子どもたちだからこそ、関わり方、投げかけ方を考えなくちゃと思う場面もたくさんあります。

相手の気持ちに縛られすぎず、自分と相手の間で対話しながらも、ちゃんと自分の気持ちに戻ってこられるように。

 

のやま組(4,5歳児)のミーティングで、

「いれてって言ってもいいよってかえって来ない時がある。何回もだめよになると嫌な気持ちになるから、そういう時は、自分でしたい遊びを見つけるの。そっちのほうがおもしろいから。」

 

そう言ったりょうの周りには「いれていいよ」のやり取りがなくても自然と他の子が寄ってきては、新たな遊びが展開されていたりします。

しまいには、さっきまで「いれていいよ」のやり取りをしていた子も入っていたりします。

これを、「いれて」と言われたら、「いいよ」って返しなさいよと大人が思っていれば、いらぬ助言もしたくもなるでしょう。

 

気持ちは動く。だから自分の行動を変える。相手に固執しすぎない。

見事な自分を生きる力だと思います。

 

「そっかー、でもさ、いれてって言われたときにダメ!って強く言われたらどんな気持ちになるの?」

「それはやっぱり悲しい」

 

「一人も取りこぼさない」は、一人の気持ちもとりこぼさないこと。

相手の気持ちを感じて、知って、次にどうしようかって一人一人が考えること。

でも、一人一人は違うのだから、「みんな一緒に仲良く」でなくていい。

 

私たちができるのは、大人がそれを保障し続けることかなと思います。

 

さとのたね

代表 岸本 梓